椎名林檎ちゃんが5年ぶりとなるオリジナルフルアルバム『三毒史』(5月27日発売)の中のひとつ、「鶏と蛇と豚」のミュージックビデオを公開致しました。
すごくファン、私嬉しい。
今回はMVに記載されている日本語を考察しました。
MVはこちら
日本語部分は下記です。
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甘い蜜を覚えた
頬張りながら私はこれが瞬く間に
なくなってしまう事態を危ぶんだ。
自分が全てを平らげるまえに、
あらたなぶんを蓄えて置くべく
口から蜜を溢れさせたまま奔走した
充分な量を集めて来た上で私はーーー
更に貪り続けた。すると俄かに
吐き気を催し遂には嘔吐した。
一度は満ち足りた筈が違っていた。
望んだものに有り付いて
なぜこれほど
厭わしい思いを
させられるのであろうか。
はじめは確かに
好ましく感ぜられたこの蜜が
まさか毒なのではあるまいか。
私を貶める罠か。
誰かに呪われている。
恨みを買うようなことは
何もしていない。
尚且つ己の心身の都合なら
己が一番分かっている。
やっぱりおかしい。
愛するのは、自分だけ。
目で視て、耳で聴いて
鼻で嗅いで、指で触れる、
そして舌で味わった私の体験こそが、
何にも代え難く尊いのである。
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飛ばない目次
・5つの登場人物
・繰り返される「3」について
(「三毒」「三すくみ」「三位一体」「三大元素」)
・「蛇」は「魚類」も表す
・「蜜」を味わったのは誰か
・火の鳥的な「現在も続く神話」の物語
まずこの物語には登場人物がいます。
タイトルの3つ、鶏、蛇、豚。
そして気付きにくいのですが、もう2つの登場人物。
「呪うもの」 、そして「指を持つもの」 。
合計で5つです。
アルバムのタイトルになっている「三毒」ですがこれは仏教においての3つの煩悩「いかり」「むさぼり」「おろかさ」 が元だそうです。
これはMVの映像から察するに、このように割り振られるのでは…。
鶏→おろかさ(踊っているので)
蛇→いかり(表情が無い、動きに怒りを感じる・・・気がする)
豚→むさぼり(特に食べるシーンはないのですが、豚という存在的に)
そして3という数字は色々な宗教、文化で大事な数字となっています。
まず「三すくみ」
ジャンケンでおなじみの、弱点と得意が3つ絡み合ってどこからも手が出せない状態です。
映像の中でこの3つの動物は
「→鶏→蛇→豚→鶏…」という三すくみ状態である事を図で示されています。
つまり「食物連鎖」である事が示唆されているのではないかと私は思います。
そしてキリスト教などで登場する「三位一体」
これは「神と子と精霊」が同一の存在である、という意味です(大雑把に言うと)
わかりやすく言うと「天使のお告げも、キリストの奇跡も、世界の創造も、全部神様の意思」といった感じで大体大丈夫かと思います。
(専門家の方ごめんなさい)
三位一体とこの物語を無理矢理曲解して、この3動物は全て神様の遣い、みたいなイメージかと思いました。神々しいし。
そして三大元素
三大元素は古代日本( 神道?)で世界を構成すると思われていた「火・土・水」の事。
(ちょうどポケモンの最初の3匹と同じ)
MVの中で元素の割り当てがされていると感じましたので、おそらく鶏豚蛇で森羅万象も表しているのではと思いました。
鶏→火。花火を持っている。
蛇→水。水から出てくる。
豚→土。足を引きずって歩く、重りを付けて歩く/地面から離れられない。
また「蛇」に関してですが、これは「鱗を持つもの」と言う意味で「魚類・爬虫類」を表していると思います。
昔の日本では蛇も「虫の仲間」としてカウントされていたので「昆虫」ももしかして入っているかも。
お魚も含まれているのでMVでは水から出て来たのでは?
物語に戻りますが、
「蜜」を味わったもの
この目耳鼻指舌、五感を感じる部位の形状から登場人物「指を持つもの」は「人間」かと思います。
上記の3動物の考察と絡めると
「食物連鎖の外にいる人間が、動物達を食べる」
という解釈でいいかと思います。
(沢山の解釈があると思います、男女関係等に当てはめる事も出来ると思います)
こう思った最大の理由の1つに
「レヴィアタン」「ジズ」「ベヒーモス」 という旧約聖書に登場する生き物の存在があります。
そしてこの3怪物は旧約聖書ではこのように記載されています。
「世界の終末には、ベヒモス、レヴィアタン、ジズは、人間に食べ物として供されることになっている。」
終末の後、キリスト教では簡単に言うと義人選別(良い人だけ復活)の後の、選ばれた者だけが食べる事ができる怪獣肉、と言うわけです。
「鶏と蛇と豚」のイメージと合致します。
物語に戻ると
『はじめは確かに好ましく感ぜられたこの蜜がまさか毒なのではあるまいか。
私を貶める罠か。誰かに呪われている。
恨みを買うようなことは何もしていない。』
まとめると
本当は食べてはいけない生き物を食べ、食べすぎ、体調を崩す。(心身、文化的共に)
手塚治虫の火の鳥が好きな者としてここだけ見ると「恨まれてない訳ないじゃない!」という感想が湧きます。
分かり易い間違った解釈・心情を描くことによって、この「恨まれてない」と思う人物と、物語の読み手の「私」は同一人物にならないように書かれていると感じます。
要はここで読み手の「私」は「神話を読む」「物語を読む」という立ち位置に。
林檎ちゃんの歌詞で王道の「感情移入させる歌詞」とはちょっと違う感じです。
ここをまとめると「今尚続く神話の中に自分達は存在している」という事かと思うのです。
因果応報、しっぺ返し、見る側から見たら結果が分かっているのに足を止めない主人公、(そしてそれは、自分達だ。)という客観的な視点です。
まさかの続きます
(次回プロビネンスの目について)
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