考察続きです。
前回はこちらです。
まず前回を踏まえ
「本当は食べてはいけないものを食べ過ぎている」
という話だと、最終的にベジタリアンやヴィーガンのお話になっていきそうですが、なんとなく着地点はそこだけではないのではないかと思います。
「三毒」で表される「いかり」「むさぼり」「おろかさ」という煩悩から、食事全般もそうですが、大きい意味での仏教観的な「全ての煩悩」を表しているのではないかと感じます。
有り余る豊衣飽食という感じでしょうか?酒池肉林??
この物語には登場人物がいます。
タイトルの3つ、鶏、蛇、豚。
そして気付きにくいのですが、もう2つの登場人物。
「呪うもの」 、そして「指を持つもの」 。
合計で5つです。
という事を前回書きましたがこの最後のひとつ「呪うもの」は「神様的な何か」を表しているのではないかと思います。
MVで半人半獣の姿で登場する林檎ちゃん自身がその役割なのではないでしょうか?
(鶏、蛇、豚を従えてるっぽいし)
また「神様的な何か」ではないかと思う最大の理由は、ところどころに出てくる「大きな目」のイメージ です。
有名な「新宿の目」(ガラスで出来た新宿にあるオブジェ)はよく「フリーメイソンのイメージなのではないか」と言われていますが
(ちなみに私はフリーメイソンマニアでもありますが怖がられそうなので割愛します)
このMVでも「プロビデンスの目」 を表しているのではないかと思います。
よく知られるプロビデンスの目は「三角形の中に目」ですが、「放射状の線(光背/後光
)と目」でもプロビデンスの目を表すことになります。
よくフリーメイソンのマークと勘違いされますが、これはその団体が創設される前から存在するマークです。
(キリスト教のマーク(意匠)のひとつですが、エジプトが起源という説も)
この目が表しているのが「神様」であり「摂理」や「真理」です。
神様はどこにいても見ていますよ、というイメージです。
また、特定の神様という人物、というよりは「真理」や「法則」など逃れられない堅固な決まり事(例えば重力や数学が不変であるような事)というイメージの方があっているかもしれません。
MVの物語に戻りますが
はじめは確かに好ましく感ぜられたこの蜜がまさか毒なのではあるまいか。
私を貶める罠か。誰かに呪われている。
恨みを買うようなことは何もしていない。
要は知らず罪を犯し「神様的な何か」に「天罰を与えられている」 という事かと思いました。
「誰かに呪われている」も食べ続けてしまった無数の「鶏、蛇(魚)、豚」(食物、そして様々な煩悩)の積もり積もった恨み、的な印象も受けます。
ここまで結構キリスト教イメージ中心で考察してしまいましたが、お経を唱えるシーンから始まる事もあり、もう少し仏教観からの考察も必要かと思います。
キリスト教では明確に「人」と「動物」を分けて考える節がありますが、仏教において「輪廻観」もあるので(人であったブッダの前世にウサギがあったりなかったり)「人」と「動物」はもう少し緩やかに混ざった部分もあります。
そうなると動物を食べる罪悪というイメージが少し変わってくるように思います。
命を繋ぐために、自らの命を別の命に与える、というお話が仏教では多く出てきます。
また話は少し変わりますが、林檎ちゃんの歌は
「世間的にはわからないけど、私はこう生きていく」というようなある意味ロックでポジティブな主観的な歌詞が多いかと思います。
今回の歌詞の
この部分を「自己愛という煩悩」「勘違いと間違い」と単純に受け取るのも、どこか早計 なような気がします。
「悪いことはわかっている。でも私は生きている」みたいな方が今までの林檎ちゃんの曲のイメージと近い印象。
歌詞の「私を貶める罠か。」という部分。
逆に考えると、「罠に嵌めるために、わざと「蜜」という(遅延性の)毒を用意した」 ということになるのではないでしょうか。
神様狡猾・・・。
「蜜という罠」と考えると、アダムとイブをそそのかした「蛇と林檎」を連想します。
林檎、罪の果実、というのは林檎ちゃんではよく知られたイメージです。
蜜と林檎も相性が良い。
「林檎という知恵の実」を食べてアダムとイブが罰せられるのが定説ですが、「知恵の実を与えてくれた蛇に感謝する」という考えも実は存在します。(グノーシス主義等)
(知恵があるから人間は発展した/マッキントッシュの齧られた林檎マークはここから来たという説も)
そこだけ考えると、神様的な何かが、蜜という罠を、蛇を使って人間に与えた。そして自滅するのを見ている。とも言えるのではないでしょうか。
そんな試されている中で、「義人(良い人)でいること」もばかばかしい。
『舌で味わった私の体験こそが、何にも代え難く尊いのである。』
と繋がる方が、今までの林檎ちゃんの曲のイメージと合うようにも思えます。
最後に。
恐らく「三者三様」という「3」のイメージも入っているのではないでしょうか?
つまり、立場により解釈が様変わりする、という事も踏まえながら読むべき物語なのではないかと思います。
(無理やり三者に分けると「神様」「その 遣い/食物」「人間」)
「こういう意味だ!」と決めつける事こそ、この物語の意味を知るには遠ざかっていくのではないでしょうか。
今回のLUTRA LUTRA LUTRAはこれでおしまいです。
オカルトマニアだー
またね
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