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mslutraのブログ

ポロックの絵の具は宇宙を描いてる。理系にも分かるように描き方を説明(したつもり)

www.musey.net

 大きなキャンバスに散りばめられた絵の具。

一見、野性的に見えますが、実はとても緻密に製作された抽象絵画です。

  

きっかけは忘れましたが、ふとポロックについて検索したところ、見当違いの解釈が出てきてちょっと腹が立ったので、「ポロックの何が素敵なのか」分かりやすく具体的にまとめましたので解説させて下さい。

 

まず画面いっぱいに垂らし、飛び散る絵の具を見て、お子さんでしたら「やってみたい!」となるのではないでしょうか。

ちょうど私の大好きなニンテンドーのゲーム「スプラトゥーン」の様なイメージです。

 

真似して見たくなるドリッピング技法

ですが実はあの絵画は緻密な考えのもと制作されています。

小器用な大人が「私にも出来る」とアーティスト気分で手頃なサイズのキャンバスをイーゼルに立て掛けたりして絵の具をぴしゃぴしゃしてもポロックは作れません。

 

何故ならあの絵画群は「全くの偶然」から作り出された訳ではなく「目指す地点」があり、絵の具を流す技法(ポーリング)や点々と垂らす技法(ドリッピング)を反復する事である種の職人としての技術を駆使してやっと辿り着く画面になっているからです。

よって上下左右きっちりと決まった絵画であり、狂人の絵の具遊びではありません。(アーティストはみんな狂人では?という意見は置いといて)

 

抽象的な図形で空間を表現するには

では、その「目指す地点」とは何なのか。

まず下の絵を見てみて下さい。

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どちらが青い色が浮いている様に見えますか?

左の方が、グレーが影になって浮いている様に見えます。

(右と思う人は天才かもしれないので置いていきますね)

白いキャンバスにたった2色の絵ですが、左の絵には「空間」を感じる、という状態です。

空間は「光」の表現でもあり、多くの美術品は「光」の考え方の違いで説明ができたりします。難解な彫刻作品なんかも。(村上隆の受け売りですが)

では次に下の絵を見てみて下さい。

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黒い線が赤や青の隙間を、蛇の様に前後に縫う様に進んでる風に見えます。

これは前の青の絵よりも「空間が複雑に感じられる」状態です。

この深みにより絵から感じる情報量が格段に増え、簡単に言うと「見応え」にも繋がります。

 

つまり、グラデーションもない、リンゴや人など具体的なモチーフのない、「色と点と線」だけでも複雑な空間を表現できる。という事です。

私は上の絵を「あえて空間を感じるように色を配置」しました。

 

しかしポロックは、空間が感じられる様に、しかし絵筆で描いた感じにならない様に、床に敷いた巨大なキャンバス布に何度も絵の具を垂らし、そうならなかった大部分は捨て、そして本当に偶然、緻密に描かれた具象絵画(具体的な物が描かれた絵)よりも空間を感じ、複雑な情報量を湛えた状態になった部分だけを切り取る。

そうした「偶然の精鋭たち」そんな奇跡の様な部分がポロックの作品になります。

ちょうど見上げた夜空が、実は広大な宇宙を1方向から見たもの…のようなダイナミックさが表現されています。

 

なのでポロックがその辺を歩いていたとして、「このスケッチブックに絵の具を垂らして下さい!」と頼んで垂らして貰っても、そこに美術的な価値は宿りません。(バンクシーさんとかなら何とかしちゃうかも)

 

ポロックがあの表現に辿り着いた過程や生きた時代

よく「有名なアーティストになると、若い頃の落書きにも値が付く」と思っている方がいますが、美術はそんな単純なものではないし、値がついてもその値段は美術への評価ではありません。(後に評価された過去の画家なら兎も角、アート志してる現代人にはそれはない/秘境に住んでるとかアウトサイダーアーティストとかならまだしも)

 

また、アート好きじゃない方にはピンとこないかもしれませんが、どんな作風のアーティストでも「アート史の流れ」と「作品」は無関係ではいられません。

ポロックピカソの時代は「キャンバスをイーゼルに立てて描く絵画」に限界を感じつつあった時代。

人類初の美術作品と言われる「ラスコーの壁画」や「インディアンのシャーマンが描く砂絵」などにパワーや可能性を感じたアーティスト達は「小さなキャンバス」をもがきながら抜け出していきました。

これがポロックのキャンバスが大きい訳の1つです。

ポロックは広いアトリエの床を埋め尽くす様な巨大なキャンバスに乗り、自分自身が「絵画に入り込みながら」絵の具を垂らし、現代のシャーマンになろうとした訳です。

結構途方も無い作業や労力が要るこの制作は、本当に願いながらやってたんじゃないかな…。

当時も結構「絵画じゃない」と批判や議論を巻き起こしてた様なので、本当に自分自身と美術的な神様的な何かを信じ続けていないといけなかったんじゃないかな…。

 

最後に...(言い訳)

最後に、ここまで書いた文章は、こちら教授様の論文などなど参考にしています。

ジャクソン・ポロック___オールオーヴァーのポート絵画の成立過程/大島徹也」

https://www-art.aac.pref.aichi.jp/collection/pdf/2010/apmoabulletin2010p23-50.pdf

が、私自身の解釈が沢山入っています。

「いやいや、そう決めつけるのは浅はかだ…」というプロのご意見もございますかと思いますが、1アマチュア美術ファンの1つの見方としてどうか見逃して下さい…。

 

誰かの疑問やもやもやが晴れたり、何かの小さな調べもののきっかけになれれば幸いです。

 

 

 

ちなみに…サカイとポロックスタジオのコラボは私的に解釈違いです。

ポロックが取り出した奇跡的な部分が素敵なのであって、アトリエの床はアトリエ床だと考えるからです。(深い意図があったらごめんなさい)ポロックの死後、奥さんが切り取った作品も同様。

spur.hpplus.jp

 

 

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