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mslutraのブログ

「育ちが良い」という言葉があまり好きじゃない

突然ですが、私は「育ちが良い」という言葉があまり好きではありません。

今まで特に目にしたり、聞いたりしなかった「お育ちがいい」という単語を、何故か昨今良く聞く様になりました。

 

たしかに、例えば綺麗にご飯を食べるとか、店員さんにも失礼無く接するなど、人を褒める時に使う言葉ではあるし、私もガサツな方よりは

所謂お育ちが良い人の方が好きです。

 

でもこれって「お育ち」ではなく「行儀が良い」とか「節度がある」とかでは駄目なのでしょうか?

(でも私も良く「お嬢様だ〜」とか「育ちが良い感じがする〜」とか言うので、おまいうなのですが。(おまいう、ネット死語の香り…)自戒の意味も込めて)

 

なんとなく「育ち」とか「出生」みたいなその人が努力や配慮でどうしようもない物を指し過ぎている様で、「目の色が青い」「髪が黒い」みたいな、態度ひとつで人生見透かされている様な居心地の悪さを感じます。

 

実はこう思うのには具体的な実例があります。

昔会社勤めの際に、こちらは女性2人(上司の方)、相手は取引会社の男性で会食?をした際に、相手の男性に

『カワウソ(仮名)さんってお育ち良いねー』

と言われて、なんかカチンと腹が立ったんです。

 

何故かと言うと、育ちが良いって面と向かって人に言えるのって、相手が年下だとか、子供だとか思ってないと出ない言葉だと思ったからです。

例えば私が男性だったら、年上の女性だったら、「育ちが良い」なんて言った!?

って思ってしまったんですよね。

もしそれが、モデルとかアイドルとか「人となり」で商売している職業ならまだしも、私は「対等な仕事相手」として認識して欲しかったんです。

私は技術で仕事してるって誇りがあったので、無意識で子供認識されているのが悔しかったんですよね。

 

昨今の「育ちが良い」っていうのは、私がギークなのもありますが、ずっとアニメキャラクターなどの設定に良く使われる表現だった(そうとも限らないけど)ものが、若いユーチューバーなどの飾らない日常動画の流行、アイドルなどの素の状態を売っていく方針(例えばSNSや、オフショットだけの写真集など)などで、嘘を付いてないとか化粧が薄いとか、人に対して透明性を求めた結果、飾らない状態から透けて見える「育ちの良さ」を評価しがち。なのかなと思いました。

 

その評価自体の意味は分かるのですが、その人が素行を気を付けてるとか、言葉遣いを気をつけている「気遣い」や「小さな努力」みたいなのを「出生」と繋げてしまうのはなんとなく腑に落ちない。というお話でした。

 

(あと「はすっぱな人」とか「わがままな人」って私的にとっても魅力的なので、「態度が荒い→悪い」っていうのが前提なのは乱暴な話だなって思うのもあります)