良い絵、悪い絵、そんな風に一括りには出来ませんが、私には見るのすら辛い絵があります。
それは美術学校予備校生が受験用に描いた絵画です。
これは技術的に未熟だから見ていられない、という意味では全くありません。
まず初めの説明として、私は美術系大学の絵画科に通っていた元美大生(卒業生)です。
(お金持ちと言われる事がありますが、奨学金通学です。まだまだ奨学金返済中です)
そして美術大学の特殊な受験の為に、受験用の絵を習う美術予備校があります。
(勿論ここに通わなくても合格できる要領良い天才な方もいます)
私は受験1年目に1校だけ受けた大学に落ち、1年浪人生をしていました。
もうここの時期が私の人生の中で最大に地獄で、家族への申し訳無さ、自己肯定感は0、絵具代を稼ぐ為のバイト疲れ、もう全てのコンディションが最悪で、この1年間の記憶がスパッと抜け落ちている程です。
(dir en greyのジャケット絵を模写した事だけは覚えてる…)
所謂トラウマみたいな時期でした。
話が戻りますが、受験生の受験絵を見ると、その時の漠然とした辛い記憶と共に、絵画から色んな情報が私に流れ込んできます。
・技術の誇張
・認められたい
・古い価値観から与えられた課題
・“求められる”美しさの模写
・切迫感
・承認欲求
絵を見ただけで、描いた人と目が合う様な居心地の悪さ。
私が思う「素敵な絵を描く為の環境」とはかけ離れた状況で、絵を描く環境を手に入れる為に描かされた(そうとは思ってない人もいるとは思う)絵。
(これは画家の学生時代の絵、とかでも同様。単純な技術の話では無いです。大体皆んな上手。)
この技術があればもっと素敵な事が沢山できるのに、という悲しい気持ちにもなります。
たまにTwitterなどで流れてくる「超絶技巧の写真みたいな絵!」なども、中には見ていられないものがあります。
承認欲求、技術の誇張で塗り固められた絵は見て伝わってきます。
たまに、絵画として魂がこもった様な、素敵な表現がされたとても良いものもあります。
最近もTwitterで拝見したヒトラーが美術生だった頃に描いた絵も、見ていてとても辛い気持ちになる絵でした。「すごいだろ!認めろ!」と大声をぶつけられている様で見ていられません。
良い絵と、見ていられない絵の違いは中々言葉では説明しづらいものがあります。
光と影が瑞々しい絵。
色彩に濁り?焦り?が無い絵。
豊かさ(時間、心、色彩、光など色々)を感じる絵。
この辺りが私的に良い絵を感じるポイントです。
(art的価値はまた別の話)
(画材やテーマなどでも全然違ってくる、グラフィティとか)
花の絵ひとつでも全然違います。
パースも言うほど関係ありません。
(作者が重要視してなければ)
最近流行りの水彩画タッチのイラストなどは、割とわかりやすく「良い絵感」を出せる技法です。
画材自体に豊かさや瑞々しさが込められています。ですがその中にも、良いものとそうでないものがあります。
結局何が言いたいかといいますと
・水彩画だから良い
・本物そっくりな精密画だから良い
・自分には描けない絵だから良い
・よく分からない絵だから良い
そんな「言語的な価値観」で絵は見るものでも描くものでも無いと言うことです。
「心で見る」と言うと一気に安っぽく感じますが、もっと感情で絵を見た方が、絶対楽しく幸せです。
でも本気で絵を見たり描いたり買ったりしない人にはここまで求めてもしょうがない話ですが、絵で苦しまないように…と昔の自分へ。