スラックティビズム(Slacktivism)批判への反論について書きたいと思います。
スラックティビズム(Slacktivism)とは?
スラックティビズム(英: Slacktivism)とは、「怠け者(slacker)」と「社会運動(activism)」とを掛け合わせたかばん語であり、SNSやネット署名などの手軽な手段により、専ら自己満足のために社会運動に参加することに対する蔑称である。
・・・・スラクティビズムが非難される理由としては、そのような手軽な手段は運動の役に立たず、寧ろ、より積極的な活動を減退させるという仮定がある。
簡単に言えば、ネットで「世の中を良くしよう」なんて言う奴は行動が伴ってなくてみんな『偽善』」というわけです。
具体的な批判をされる様になった過程や理由や事件などは大体wikiに載っているので気になる方はご参照下さい。
最初に私の考えを表明しておくと、私はスラックティビズム批判に反論があります。
そもそも30代でグラフィック的な仕事をして、ゲームやユーチューブやインスタグラムが大好きで、引きこもりぎみな私にとって、オンラインは現実です。
リアルが現実、オンラインが非現実。メディアに踊らされている、浸かりきっている、という批判はもうほとんどあまり意味のない批判だと感じます。
(むしろ地上波TVが虚像に見える)
例えばもうハサミとか、量産製品の食品とか、衣服と同じで「買った野菜食べてるなんて資本主義的だ。自分で育てた野菜だけ食べろ」と同義なのではないかと思ってしまいます。
若い子が外出先でTikTokを撮ったり、アバターでゲーム内で交流したりするのを全て「虚像」と言えるほど、そもそもリアル世界は楽しく意味があり充実しているのでしょうか。
「手軽で便利で簡単」は良くない、という批判は、何か新しい技術が出てくる度に巻き起こる論争ですが、今更「洗濯物は手で洗え」と言ってもしょうがない技術の進歩と時代の流れと普及があります。
スラックティビズムと批判出来るのは、上記意味合いがかなり大きく心情を占めていると思うのです。
例えばエストニアなど諸外国の選挙がオンラインになったところで、1票の価値が変わることはありません。それに伴うハッキングや改竄などのデメリットは対応改善していく技術的問題であって、投票するという意識は実在するものです。
また、wikiにもありますが、「ネット募金詐欺」という、慈善事業に募金したつもりが、悪徳業者の懐に入っていた。という匿名的な信用を利用した詐欺があります。
こちらもオンラインになったから今に始まった新しい犯罪ではなく、駅前路上でも行われている様なものです。
ハサミを慎重に便利に使うか、凶器に使うか、という意味合いしかないと思うのです。
そもそもネット署名やイイネやらは、ブラック企業の横行した世の中で時間がなく、1円でも節約したい層にとって社会に何か影響を及ぼしたい、変えたいという行動の最初の足がかりであり最後の砦です。
スラックティビズム批判で特に槍玉に上がるのは米国ファーストレディや有名インスタグラマーで、瞬間的な人気のための政治的偽善、と受け取られがちで、それはある意味的を得ている部分もあると思います。
しかし、これしか手段がない層も多くいるという現実的な部分も見て欲しいと思うのです。
特に女性の権利についての話は「モテない女が何か言ってるよ」「働いてない主婦が偉そうに」と纏められがちな意見を具体的な大きな数字という圧力に変える事が出来る重要な手段の一つです。
スラックティビズム批判は初めこそ「もっと具体的で継続的な活動をしよう!」という生産的な問題提起だったと思うのですが、この言葉が横行する事によって逆に、不都合な署名や活動を「メディアに先導されたバカな集団」「匿名オンライン署名に価値は無い」と無かった事にする手段に使われていってる様に思います。
オンライン抗議活動を発足させる側も、乗り込む側も、そしてシステム運営側も、全ての人が責任や結果を考えながら行動するしかなく、成長過程の運動だと各々肝に命じる必要があります。
ですがこれらのことはオンライン署名でも、リアル選挙でも、どちらにも言えることであり、オンラインを取り立てて批判する理由にはならないと、私は思います。