アメリカを代表する画家の一人、Wayne Thiebaud(ウェイン・ティーボー)が2021,12/25のクリスマスの日に息を引き取りました。
101歳の大往生でした。
心からのご冥福をお祈り致します。R.I.P.
私はウェイン・ティーボーの大ファンなのでその知らせに衝撃を受けつつ、ですが彼を知った当時も90代だったので、正直お疲れ様でした、ありがとうございます。と言う気持ちが強いです。
ここからは少し彼の画家としての説明と、私の解釈などを描いていきます。
彼の作品を見ていただければわかりますが、(日本語で纏められていないので画像検索すると良い)ダイナーやカフェテリア、キャンディにケーキ。そしてカラフルで乾いていて且つ豊かなビル群や高速道路。一見にしてアメリカンで、懐かしくて可愛らしくてどこか物悲しい空気を感じられると思います。
ここで「はいはい、アメリカンポップアーティストね」と早とちりしてはいけません。
彼はポップアートやファインアートとラベリングされる事を嫌っていました。
彼曰く、彼はあくまで「自称、昔ながらの画家」であって、彼にとってのケーキやシェイクの絵は「静物画」でした。
ですが、彼はアンディウォーホールなどのポップアートに強い影響を与えた人物であることは明白で、むしろポップアートが生まれる50,60年代より少し早い時期から活躍しています。
(というかウォーホール嫌いだったらしい。うける)
ともかく、光がせめぎあってイエローやレッドが滲む境界や、ブルーの明るくて何故か暖かい影とか、白いケーキの甘そうな色の混ざり合いとか、御託はいいからともかく好き。
構図が整理されてるのに色にリズムがある所とか。
早朝、開店直後のベーカリーカフェの新しい日の輝く様な雰囲気とか・・・。
ここからは私の解釈を含みますが。
(確か日本のアーティストTIDEがインスタのどこかで話していた様な記憶があるのですが・・・)アメリカンアートはウォーホール(マリリンモンローやキャンベルの缶の版画の)やロイ・リキテンスタイン(アメリカンコミック調の巨大な女性が泣いている絵の)の様なフラットで機械的な絵画の部分がとても大きく取り上げられてしまいがちで、そのせいで絵画然としたこってりとしたタッチのエドワードホッパーとかノーマン・ロックウェル(雑誌の表紙の絵で有名な画家・イラストレーターとして知られてる)の流れが軽視されがち。という状況が少なからずある様に思います。
例えばレトロディズニーのフラットなキャラクターの背景が、驚くほど絵画的に書き込まれていたりします。目が行くのは動くコミカルなキャラクターですが、絵画的な部分と対比される事による魅力にも大きな意味があります。
少し話は変わりますが、絵が好きで絵の学校に行きたくて、絵を勉強し技術を磨き、学校に行って。
そうしていく内にアートを少し齧ると、マルセルデュシャンあたりで絵が描きたくても絵を描いている場合じゃない。もっと考える事がある。という問題にぶつかるのは美大生あるあるだと思うのですが。
ですがそろそろ、というか最近特に、絵を描きたい、絵を見たい、絵に浸りたい、そういう作品を作っている若いアーティストを沢山見る様に思うのです。
例えば
ignasi monreal(グッチの人)
Flora Yukhnovich(31歳)
Will Cotton(56歳・重鎮)
Vanessa Stockard(多分めちゃ若い)
Jana Brike(41歳)
もちろん、各々に絵画史の流れからくる「artとは何か」の回答的な理由や説明は用意されているとは思うのですが、それより真っ先に「これが描きたい、見たい」という強い気持ちを感じてしまいます。
そして私はそこにとても魅力を感じてしまいます。
(日本人アーティストは角が立つかもしれないから控えてますが、日本にももちろん沢山)
もう「現代アート」の呪いから解き放たれても良いのではないか・・・。
少なくともアート志す全員が囚われている必要はないのではないか。
(もちろん手段の一つだけど、経路が増えている様には思う)
結局自分が言いたい事を言っただけですが。
Wayne Thiebaudいつまでも永遠に大好き!という気持ちを胸に抱えて生きていきます。